社 歴 書 一

 

                     

    生みの親の誕生:

 大正の中ごろ、福岡市上鰯町(現福岡市博多区須崎)において建具商を開業、障子の透視ガラスに摺り模様をいれる工夫から板ガラスのさまざまな加工方法を考案する。国内の鏡の製造は当時から関東か関西にすべて偏っていたことに着目し、九州でも鏡の製造を可能にするべく奔走する。昭和の初期には、いわゆる家内工業的に銀引きをはじめて鏡の製造を本格化させる。同時に独自の摺りガラス加工方法の考案やカーブガラス製造加工を開始し、またガラスショウケースの作成なども手がける。

 その後、大戦突入などで一時本業から遠ざかる時期もあったが、終戦後本業を再興するために懸命な努力を続ける。戦後混乱がひと段落した昭和二十六年十二月、現組織「九州製鏡株式会社」として、製鏡および加工を戦後に復活・本格化させる。

    現工場所在地は、博多大空襲の前年の昭和十九年に疎開した地であり、当時は周辺には、田以外はなにもない土地であった。

 本社所在地は、博多大空襲で一面焦土化した博多の中心部で、戦後いちばんに商人の街として復興したところであり、当初市内向けの営業所として開店したが、昭和三十年に本社をこの場所へ移転する。 

 

 

   

  

  昭和初期の製品(たばこは違います) 

(ほかにもあります)

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